こんにちは。
なぎさと申します。
このページに来ていただいてありがとうございます。
今まで、SNSのビジネスや情報発信に縁もゆかりもなかった
ただのOLが、
本業のかたわら、副業をはじめ、
初めて作った商品で01突破。
その後も5部、10部と売れていき、
コンテンツ販売を始めて、
たった2ヶ月で23万円を突破しました。
さらにその後も高単価商品を出すたびに
ぽこぽこ売れていくようになり、
このビジネスでのコンサル生が増え、
累計170万円以上の売上をあげています。
いいねとリポストの違いは…?
どうやってメンションするの…?
ドがつく初心者レベルで、X自体を使いこなせていなかった私が、
会社員のボーナス以上の金額を、副業だけで稼げてしまっているんです。
でも、情報発信ってなんとなく、怪しくないですか?
私は今まで、
ネットで稼げる自体に疑問をもち、
やる前から疑ってしまってしょうがなかったタイプの人間です。
なので、そもそもなぎさってどんな人間なのか、
箇条書きにしてみました ↓
・今までに10カ国近く旅行する海外好き
・ブラック通り越して漆黒の人材会社で5年働く(年間300日労働)
・今までの面接対応は1000人超える
・100人以上の社長と会ってきた
・全国巡ってきたタイプの転勤族
・高校から始めたスポーツでインハイ出場
・楽しそうだなって社会人でヒップホップ始める
・焼酎・日本酒は飲めないくせにワイン大好き
・やりたいと思ったら即行動、副業も本業も欲張りたい
こういう人間です。
そして、
インハイ出場したり、
ブラック会社で働いたり、
割とびしばししごかれてきた体育会系女子でもあります。
師匠にも猪突猛進だと言われ続けるほどには、
根性に自信があります。笑
あとは、
仕事で社長に100人あったり、
ライターとして500記事書き直したりと、
あまり人が経験していないことも経験してるほうかもしれません。
こんなふうに書くと、
もしかすると、私のことを「すごい人」と思う人もいるかもしれませんが、
いやいや、
本っ当ーーに私は不器用だし、才能もほとんどない、
ただの20代OLです。
師匠にも、前「文章2点だな」「教材聞いてた?もう一回聞いて」と、
ひーひー泣きながら修行をし、
副業と本気で向き合っています。
昔から、基本的に不器用な性格ですし、
いじめられた経験もあるので、
「なにくそ!」と人一倍努力をしているだけなんですよね。
このページでは
私がどんな過去を歩んできて、
今どんな思いで発信をしているかを、書いていきますので、
ぜひお付き合いください。
トリリンガルになった幼少期
私が生まれたのは横浜。
神奈川とは言いません、横浜です。
3人姉弟の長女として生まれました。
生まれた当初は、
順当に”はまっこ”になる予定だったんですが、
父の職業柄、転勤が多かったので、
その予定は2年と経たず終了。
なぎさは『転勤族』なんです。
動画でも話したことがありますが、
幼稚園は2校、
小学校は3校、
中学校は2校、
行ってます。
小学校なんて、
小4まで関西
小5の前半が関東、
小5の後半から九州。
西日本一帯を攻めながら、
年に2回の帰省(四国)で、
小学生にして、
『関西弁』『土佐弁』『博多弁』の
トリリンガル。
やらせてもらってました。
おもいっきり違う環境に何回も引っ越して、
毎年2回、車で四国へ帰省する。
この経験が、私の中での
『行動力』の根底を作ったんだろーな
って思います。
片道12時間、車で帰った時は
流石にきつかったけど。
今ではいい思い出ですね。
家では、土佐弁。
外では、その土地の方言。
使い分けての生活。
普通に違う言語喋ってるみたいで
楽しかった記憶があります。
今は、関西弁が『標準語』に
変わりました。
もう関東が長いので、その方言で話しかけられたら、
同じテンションで返せる、くらいでしかないんですけどね。
引っ越しが楽しすぎた小学生時代
私が覚えている最初の引っ越しは、
小学4年生。
関西から関東に引っ越した時です。
最初はむちゃくちゃワクワクしてました。
「友達出来るかな~!」
「あっち行ったら新しいことやりたいな~!」
「むっちゃ都会に違いない!」
とか。
楽しみでしょうがなかった。
だって、引っ越し初日って
「なんか、隣のクラスに新しいやつが来たぞ!」
「関西から来たらしいよ!」
「うわ関西弁だ~~!」
って、
ただしゃべるだけでも、
人が寄ってくる、珍しがられる。笑
で、前に住んでたとこの話とかすると、
むっちゃ羨ましがられるんです。
「いいなあ~」とか。
「楽しそう~」とか。
「色んなとこいけていいなあ~」とか。
その土地に住んでるとなかなか経験できない
『引っ越し』っていう、
大きなイベント。
魅力的に感じるんですよね。
この頃に、自己肯定感が爆上がりしました。
言うことなすこと
なんでも興味持ってくれて楽しかった時期。
でも転校生フィーバーって
すぐ終わっちゃう。
目新しさなんて一瞬。
だから、
・どうやったら初対面から早く仲良くなれるか
・どうやったら長く自分に興味を持ってもらえるか
・どうやったら笑いが取れるか(←ココ大事)
を、ずーーっと考えてました。
人が来てくれたら
その人たちを離さないっ!みたいな。
私からアクション起こして
みんなを巻き込むタイプ。
おかげで、九州に引っ越した時も、
初日から友達が出来たし、
1週間くらいで友達と出かけたりしてたし、
なんなら、今でも連絡できるくらい仲が良い。
そこで、
全員初対面なら、だれとでも会話できて、
友達にもなれちゃうって特技が身につきました。
自己顕示欲の爆発
それだけ学校が変わったもんだから、
5年生の時には、
前期は5年1組(関東)で、
後期は5年2組(九州)、
みたいな感じになって、
大事な『学校のカリキュラム』がずれ込んでしまった。
当時、小学校5年生の算数って
小数点と分数の勉強だったんです。(今もかな?)
だから、5-1では、
先に「小数点→分数」の順で勉強する予定だった。
でも、5-2は逆だったんですよね。
「分数→小数点」だった。
だから、少数点を前期と後期で2回勉強し、
その代わり、分数は一度も授業で習えない。
そういう状況が生まれてしまった。
「そんなことあるんだ!?」
みたいな。
まー想定外ですよね。
当然のように、
勉強についていけなくなる。
ので、
成績別で開かれてた特別授業の
成績一番下のクラスで一から勉強。
九州の先生たちがとってもいい方々で、
転校生の私に、しっかり勉強できる環境を
用意してくれたんですよね。
まじで、ありがたかった。
おかげで基礎を授業で学べました。
でも当時は、
優等生でいたい!という思いと
誰にも負けたくない!精神が人一倍強かった。
そんな小学生でした。
勝負事や勉強とか
なんでも『負ける』ってことが
本当に嫌でしょうがなかったんです。
で、その時は
勉強が追い付いてない一番下のクラスでの勉強。
(出来ない子クラス…マジか…)
(私は、習ってないだけなのに、このクラスなのか…)って
思ったの今でも覚えてます。
上とか下とか、
勝ち負けとかではないんですけどね。
昔から、
走る、飛ぶ系の陸上競技が苦手すぎて、
「運動」で周りに勝てないって思ってたんです。
だから、なにかで勝てるものが欲しかった。
コツコツ取り組めば伸ばせる
「勉強」では絶対に負けたくなかった。
だから、
他の人より下の環境が「悪」という
先入観にとらわれてたんです。
勉強で負けたくないー!って気持ちが
学生時代はずっとあったなぁ。
相手よりすごい部分を持っていたいという
「自己顕示欲」っていうんですかね。
転勤ばっかりしてて、
常に私を見てくれてる人がいない
っていう思いから、
誰かに認められたい欲が強かったですね。
かばん×身長でいじめられる
この順調に滑り出してた学生生活に
暗雲が立ち込めます。
いじめです。
今思い返したら、なんてことないことだったなって思うんですけどね。
きっかけは、かばんでした。
まずそもそも、
最初に通った学校が、ランドセルを使わない学校だったんですね。
むっちゃレア。
未だ同じ境遇の人に会ったことないです。
男女別で2種類、全員が同じリュックサックを使ってました。
だから、私ランドセル背負って
学校行ったことないんです。
当時は何の疑いもなく使ってたんですけど、
引っ越すと、いやでも気づきますよね。
(あれ、みんなとかばん違う…)
(みんなランドセル使ってる…)
って。
親も気を使って、
ランドセル欲しいか聞いてくれたんですけど、
あとたった1年半だし、
普通のランドセルより荷物入って気に入ってたし、
「大丈夫だよ!」
って断りました。
その結果、
関東からの転校生で、
小5で160㎝近くあって、
方言が伝わらなくて、
よくわからんリュックしょってる。
…格好の的でしたね。
幸いにも、靴隠すとか、机に悪口書かれるとか、
そんな陰湿なものじゃなかったですが、
あだ名付けられて、
指さして笑われる。
そのあだ名が本当に嫌で、
毎日こっそり家で泣いてました。
ある時、ついに限界がきちゃって。
母と話してる時に泣いちゃったんですよね。
たわいもない会話。
見てたお笑い番組とかの話してたとき。
急に。
涙が止まんなくなった。
「自分の何がいけないんだろう」
「なんで言われなきゃいけないんだろう」
悶々と抱えてた思いが爆発した。
いじめられる側って、
本当に親に相談とか言えなくなるんですよ。
・親に心配、迷惑かけたくない
・こんなことも自分で解決できない自分がつらい
・先生に知られたらもっとひどくなるかもしれない
・告げ口したってばれたら学校いけない
とか。
自分で解決したいって思いは抱えつつも、
やり方は分からないし、
強くいっても変わらないし、
現状は解決しない。
このストレスを「涙」ですこしずつ緩和する、しか
方法を知らなかった私は、
既にダム崩壊寸前だったんです。
母も、急に私が泣き出したもんだから、
理由を言うまで部屋に帰らせてもらえなくなる。
そこで、
今までのことを全部話しました。
今、私いじめられてて、
このあだ名で呼ばれるのが嫌で、
毎日辛い…
って全部言ったんです。
その上で、
誰にも言わないで。
って。
自分で解決してくる。
頑張ってくるから。
って、伝えた。
次の日。
今日は何かアクションしてみよう!って
意気込んで学校へ。
昨日、母に話したら、
何かできる気がして、行動に起こしてみようって。
…そしたら、
先生に呼ばれたんです。
私をいじめてるメンツばかり。
15人くらい一気に。
そう、母が学校に電話で速攻報告してたんです。
学年会議開かれました。
緊急集会になって、
学年で一番怖い先生がガチギレ。
名指しこそしないものの、
内容でバレバレな注意喚起。
むちゃくちゃ恥ずかしかったですね。
いじめられている側ではあるものの、
全体の前で、自分のことを話されている時の
何とも言えない恥ずかしさ。
おめでたい表彰とかでもなく、
ただ自分のことを言われている時間。
ぶっちゃけ、かなり苦しかった。
ありがたいことに、
それからいじめはなくなったんです。
が、
母への不信感は一気に上がりましたね。
一大決心をして、ぜーんぶ話した。
その上で、話さないでってお願いをしたのに。
なぜ、1日も待てなかったのか。と。
親心からしたら、気持ちが分かるのかもしれない。
私が心配で、話してくれたんだとわかっている。
でも、
もうこの人には何も話さん!
って決意を固めた瞬間でもあります。
この時以降、母には悩み相談しなくなっちゃいました。
今も鮮明に覚えているくらい、
衝撃的でいやな出来事だったんですよね。
中学生へ進学
あの事件以降、ぱったりいじめはなくなって、
仲いい友達も増えた。
好きな子も出来た。
そんな仲良しの子たちと一緒に中学校へ進学。
むちゃくちゃ楽しかったです。
勉強も順調で、
部活も、一応順調。
っていうのも、
部活は、ソフトボールやってたんです。
父が野球好きで、
小さい頃からキャッチボール三昧。
休みの日とか一緒に。
「子供出来たら一緒にキャッチボール」
とかが夢だったんじゃないかな。
父はダイエーホークス時代からの
ソフトバンクファンだったので。
弟もいるんですけど、
弟に野球はなんか、ハマんなかったみたいで
その野球熱は私に注がれました。笑
そんな背景で、
ソフト部に入部したんですけど、
まーーー人が足りない。
中2の時は、後輩を足して
9人しかいないくらいの弱小校。
野球って9人1チームだよね?って。笑
必然的に、
全員レギュラーなんですよね。笑
病気で休んだら大会出れなくなる。
ぎりっぎり。
正直、
あまり勝った記憶はないですけど、
一生懸命に練習して試合して…
すごく楽しかった記憶はあります。
来年は、中学3年生。
引退の年。
だから、
『絶対このメンバーで勝ちたい!』
『私はもっと上手くなるんだ!』
この想いでひたすら練習の日々。
日焼けで真っ黒な、ガングロたまごちゃんでした。
マインドブロックの強制破壊
こんな感じで、
中学生生活を謳歌してたんです。
だったんですけど、、、
中学2年の夏。
8月の初めの頃。
いつものように部活終わりに
学校から帰る途中、
携帯に母からメールが。
『帰ってきたら話がある』
むちゃくちゃ嫌な予感がしました。
突然の家族会議の呼び出し。
「わたし、これ知ってるわ…」
初めてのことじゃない。
なんとなく、察してました。
ーーーー
『今回も、転勤が決まった。』
『次は東京。』
本当は、
来年の夏でもいいんだけど、
来年はなぎさが受験がある。
東京は土地勘もない。
どんな学校があるかもわからない。
どんな雰囲気かもわかんない。
中学3年生の夏に行くくらいだったら、
3年に上がるタイミングで引っ越ししよう。
―――
泣きましたね。
部屋に閉じこもって。
結構な期間、
心閉ざしてました。
今回こそは、みんなと卒業出来るって
心のどこかで思ってたんです。
みんなと卒業できるって思ってたから。
大人になった今の私なら、
両親の気持ちや行動は理解できます。
わたしでも、きっとそうする。
でも、中学生の私にとって、
このタイミングの引っ越しは嫌すぎた。
もうね、小学生のときと違って、
友達の仲の良さの『質』が変わってたんですよね。
小学校5年から一緒にいて、同じ中学校に行った友達。
当たり前にずっと一緒だと思ってた人たちとのお別れ。
部活の仲間と3年の最後まで
一緒にソフトボールしたいし、
同じ志望校目指しながら、
クラスのみんなと一緒に受験して、
同じ高校に通いながら、
学校帰りにとキャナルシティとか行ったりしたい。
出来ると思ってたんです。
中学生ながら、いろいろ将来の想像をしてた。
それを、一気にぶっ壊された感覚。
同じマンションにも、
家族ぐるみで仲良かった人たちもたくさんいて。
九州の人の良さも、食べ物のおいしさも、
大好きで。
今でも、地元は福岡ですって言うくらいには、
大好きで。
そんな状態だったから、まじで引っ越したくなかったんですよね。
絶対叶わないんですけど、
せめて中3まではいたい!そのためには…
って、
中学生ながら、
・一人暮らしするには? とか
・高校から働くには? とか
自分一人で生きていく方法を調べまくって。笑
福岡に残ろうとしてました。
引っ越しの当日も、
業者の積み荷を一切手伝わず、
出窓に体育すわりして、ふてくされる。
最後のあがきですね。笑
「ふてくされてないで少しは手伝え!!」
と父にむちゃくちゃ怒鳴られましたけど。
そうして、
中学3年から東京に連れてこられました。
いざ、東京へ
私の反抗もむなしく、
中学3年生からは東京の学校に通い始めます。
登校初日、
今までの経験にない現象が起きたんです。
私の周りに誰も来ない。
…え、今日、引っ越してきたんだよ?
これ、、気になったりしない感じ??
まさか、、、東京では引っ越しって珍しくない???
そう、転校生なんて
別に珍しくもなければ、興味の対象でもない。
さらに受験期に入ってきて
1年しか関わらないことが確定している人に、
さほど興味をもたれなかったんですね。
はい、
初日のスタートダッシュに見事に失敗しました。
今まで培った自信はどこへ…?
ってくらいに
静か―――に過ごしてました。
そうなるとね、
あ~~~~、
福岡の友達に会いたい~~~
意地でも来なきゃよかった~~~~~
って毎日思うようになるんですよね。
1ヶ月くらいは、毎日夜泣いてました。
で、この時決心したんです。
『絶っ対、後悔する生き方をしない!!!!』
って。
中学の、しかも親の転勤なんて、
不可抗力。
なんですけど、
それでも、
自分に出来たこと、
もっとあったんじゃないかなって思って。
後悔しない生き方をしようって決めた。
「あ~あれやっとけばよかった!」
とか、
「こうしてたらもっとうまくいったのに!」
とか、
もう全部。
『全部しない』って決めた。
中学生ながらにね、意志は固かったです。
そう切り替えてからは、
行動にストッパーが、まるでなくなりましたね。
今思えば、マインドブロックが一つ、
なくなった瞬間でした。
だって、今挑戦しないと、
もうチャンスが来ないかもしれないんだもん。
先延ばしにしてたら、
やりたい時には遅いかもしれないんだもん。
↑ 何事も、このスタンス。
実際、高校を決めたのもこのマインドが大きく影響してます。
高校の冊子をみながら、
―――
先生「なぎさの学力だったら、○○と■■がいけるよ。」
🍙「へぇ~そうなんですね~(ぺらっ)」
「両方の違いってありますか?(ぺらっ)」
先生「勉強に力入れてるか、部活に力入れてるか、かな」
🍙 「なるほど~(上の高校は目指したいな~)」
「ん?なぎ…なた? 何それ、、部活なの?!
え、これ毎年インターハイ出てる!?
うわ、全員高校から始めて6年連続で出場??」
・
・
(…インターハイ、出たいかも。)
・
・
🍙「第一志望、この高校にします」
―――
こんな感じで、部活で高校を決めました。
マ・ジ・で、ノリと勢い。
でも、後悔しないと思った。
もちろん、その後もちゃんと調べて、
色々含めてそこに決めた。
でも、きっかけはなぎなた。
スポーツ漫画とかに出てくる
「インターハイ」に興味があって。
袴も着れるし、ラッキーだなって。
「なぎなた」って剣道に似た日本武道であり、
女子メインのマイナースポーツ。
剣道と違うのは、
・なぎなたは竹刀より長いこと(2m30㎝ある)と、
・打突部位にスネがある
・試合もやるけど、きれいさを競う「演技」もある
とかです。
言葉での説明むずいので、
気になる方は、Youtubeとかで見てみてください。笑
で、話を戻すと、
『今、貴方の人生には何がある?』
って言われたときに、
なんもなかった。
『なにか一つをやり遂げた経験』が
足りないって思ったんです。
小学校も、中学校も、
転校したからか、
ひとつとしてやり切った感覚がなくて。
人生の中で、
とことん突き詰めて
”何か”を頑張った実績が欲しかった。
んだと思います。
なんか『自分』といえば○○、
と、証明できる何かをむちゃくちゃ欲しがってました。
自分探しの時期でしたね。
だから、なぎなたを”選んだ”
なぎなたに青春を”賭けた”
そのための『行動』に飢えてました。
そこは、文武両道の高校だったので、
その高校に決めてからは、勉強一筋。
猛勉強ののちに、無事合格。
晴れて、高校生になりました。
過去一キツくて、全力で生きてた高校生
高校の思い出なに?って聞かれたら、
『なぎなた』って即答する。
そのくらい、濃厚で濃密な時間でした。
「インターハイに行きたい!」という動機で
高校を決め、
猛勉強し、
入学までした。
ものの、
「なぎなた」なんて、
見たことも聞いたこともない競技。
少しは不安があったので、まずは体験入部しました。
一応、ソフトボール部も見ましたが、
なんか弱そうだったので却下。
基本、体験入部って、
かるーく“さわり”しかやらないですよね。
しかも、なぎなたなんて初心者も初心者。
バスケや野球みたいに、ルールをある程度知ってたら、
楽しく遊ぶくらいは出来るんですけど、
なぎなたって
全く知らない人がほいほいできる競技じゃないんです。
ルールも使い方も知らない未知のスポーツ。
最初、楽しいんですよね。笑
やればやるだけ出来ること増えてきて、
昨日できなかったことが出来たりした日には、
誰かに自慢したくなるくらい達成感がある。
どんどんはまっていって、
当初の予定通り、正式に入部しました。
部活は週5日。
授業が終わってから夜7時まで練習し、
土日は外部の練習場で毎回8時間以上練習。
基本はだしで、防具はフル装備。
夏は暑いし、冬は寒い。
足の裏がかったくなって、タコ出来まくるし、
冬になると床が冷たいので親指の付け根がぱっくり裂ける。
その状態で、何食わぬ顔で練習する。
けっこう過酷な環境下でやってましたね。
学年が上がるにつれて、
練習は週7日になり、
土日で全国に合宿遠征。
学校終わりに他校へ行って
7時から9時まで大人に混じって練習。
土日で四国や、九州に飛び、
朝から晩まで練習試合。
で、もちろん平日は朝から勉強もする。
ねっむ~~
きっつ~~~
って毎日言いながらも、
こんだけ時間を投資して、
とことん突き進んでやってれば、
誰だって成長します。
やった分だけ成果は出るから、楽しい。
先生に褒められるから、楽しい。
試合で勝てるようになるから、楽しい。
インターハイに出る!っていう
大きい目標を叶えると思ったら、
苦しくても、きつくても、
楽しいから続く。
2年生になったころには、
個人の力も付いたし、試合でも結構勝てた。
3年生が引退してからの新人戦時点で、
既に団体で全国大会に出場。
最後の年は、
関東予選で個人1,2、3,4位、
団体優勝をうちの学校で独占し、
個人・演技・団体すべてで
インターハイ出場権を勝ち取り。
さらには、東京都代表としてたった3人。
選抜される国体メンバー。
私の時は、全員うちの高校から出てました。
(一応私も入ってた)
いや~、強かったんすよ。本当に。
強豪校ってこういうことか、って思いましたね。
みんな、初心者から始めた子たちばかり。
最初のスタート位置は同じだったんです。
でも、
とことんやりこんだ。
空いている時間すべてを『なぎなた』に捧げて
青春を謳歌してた。
きっつい合宿の思い出とか
山ほどあるんですけど、
みんな『インターハイ出場』っていう
同じ目標に向かってたので、
もうこれ以上ないわってくらい辛くても、
続けられた。
本気だったから。
学生の時にしかできない、貴重な経験。
中学3年のあの時、決断して行動したから
得られた体験です。
ちなみに、
「あさひなぐ」ってなぎなたを書いてる漫画あるんですけど、
インターハイの時にその作者さんに、
取材を受けたり、(部長だったので)
「あさひなぐ」の映画の試合場面の
エキストラとして呼ばれたり、
(白〇麻衣ちゃんを見たことあるという)
ここだけの話、先輩方が直接、演技指導してるんで、
むちゃくちゃ近い距離で○○坂の皆さんを見れたっていう。
いや~貴重な経験がたくさん出来たな~って思ってます。
我ながら、良い選択をした1つでした。
大学へ進学
インターハイ終わってからは
がっつり勉強1本に切り替えたものの、
見事に第一志望に落ち、第三志望だった大学へ。
こればっかりは、勉強期間が足りなかった。
要領良いわけでもないのに、部活に時間使いまくった代償。
私の時代はまだセンター試験があって、
その取得率62%。
センター試験結果として提出するには
あまりに低すぎる点数。
それでも諦めきれない私は、
かすかな可能性に賭けて二次試験も受験。
したんですが…
一番自信のあった数学で、
「あっれ~、、、これ、マジでわからん…」
「こんなん、誰か解けるんか?」
「マジで泣きそう…」
・
・
・
結果、
本チャンの試験で自己採点0点という結果を出しました。
(志望校が高すぎ)
その後、合格した第三希望の大学へ進学。
やっと大学生になれた!
キャンパスライフを満喫するぞ!
そうウキウキで入学した1年後、
事件は起こりました。
FX投資で40万詐欺られる
『大学生を狙った詐欺多発。ねずみ講に注意!』
よくニュースとかで聞きますよね。
うちの学校にも張り紙がしてありました。
それに、私は引っかかったんです。
当時は、かなり情弱無知な大学生でした。
高校では部活一筋。
朝から晩まで道場にこもる生活。
当然、アルバイトする時間なんてなかったので、
大学が初バイトデビュー。
大学生になってからやりたいこと
の一つ、「アルバイト」を叶えるべく、
塾の講師のバイトをはじめました。
最初は大変でしたけど、
自分で使えるお金ができたってことが
大変さ上回って嬉しすぎた。
喜びをかみしめてましたね。
そんなある時、
本当にふと、Twitterを開くと、
「FXで自動で稼げるやり方教えます」
「今日の収益(札束写真)」
「1時間で50万稼いだ!」
という文字。
最初は、怪しいな~と思いつつも、
…見れば見るほど、稼げている。
なんなら、その周りの人も、稼いでいる。
稼いだ額分の現金と、
手元の写真もはってるし、
取引の画像まであるし。
私が3ヶ月必死に働かないと手に入らない金額を
たった10分とかで稼いでいる。
純粋に『羨ましいぃ~」って気持ちと、
バイトを2つ掛け持ちしながら働く環境から『抜け出したい』、
『楽に稼ぎたい』という思いが自然と強くなっていきました。
この辺からですかね、
『稼ぐ』ということに興味をもち始めたのは。
バイト(行動)すれば、稼げる
って認識が、
行動する方向を変えたら、楽に稼げる!?
って変わった。
で、最初は、
ツイートが目にはいったら見る。
だったのが、
次第に、
・検索してその人の投稿を探す。
・実際どうやってるか考える
・他の人の情報も見てみる
みたいな。
そして、
「私でも出来そう!FXやってみたい!!!」
という想いが日に日に強くなっていき、
やってみよう!と決断しました。
そっからは早かったです。
行動力はあるので。笑
やりたいと思ってから、
DMで連絡。
すると、
直接会ってやり方を教えてもらえる時間
を取ることに成功。
してしまった。
直接会えたことで、
信頼してしまったんです。
上手いですよね。手口が。
私がちょろかったってのもあるんですけど。
うわ、マジか!会ってもらえるんだ!
詐欺だったら直接会わんだろ!
これは、絶対詐欺じゃない!
その想いで恵比寿のカフェへ向かってました。
実際に話を聞いたのは、
・FXが簡単にできるツールがある
・自動で売買のタイミングでアラームが鳴る
・その時に注文する、を繰り返せば絶対稼げる
・ここで払った40万もすぐペイできる
・分からないことはいつでも聞いていい
そんな情報をガンガン言われまくって
目がギンギンだった私は、
速攻アコムでお金を借りてきて手渡しました。
40万。ドンっと。
今まで触ったこともない額の厚みに、
ドキドキしながら。
親にも言ってない。
友達にも相談してない。
でも。
このツールがあれば、稼げるようになるんだ。
しっかり時間取って取り組めば出来る。
私ならできる!
そしたら、みんなをびっくりさせよう。
それで好きなもの買いまくって、
両親に旅行とかもあげちゃおっかな~
って本気で考えてた。
ちょろすぎ。
情けないくらい、情弱すぎました。
謎の自信に、過信と迷信。
ツールってUSBに入ってたんですけど、
それ受け取った日はテンションMAX。
とりあえず午後の授業は休んでひたすらその設定。
まずやってみよう!ってことで動き出した。
・
・
・
ものの。
当たり前に、FXにはお金が必要。
デモ取引でやるものの、
実際の自分のお金は一向に増えていかない。
当たり前です。
で、
2回くらいかな?
DMで質問したものの、
「練習すればいけます」の一辺倒。
誰にも言わず、借りてきた40万。
ダメなことをしている気持ちになって
誰にもばれないようにしてたし、
早く返したかったし、
早く稼ぎたくてしょうがなかった。
なんか常に焦ってましたね。
見えないなにかに追われている感覚。
むちゃくちゃストレスでした。
このせいで、カード会社の支払い遅延なんてざら。
つねにお金に困ってる大学生生活でした。
そんな毎日を過ごしながら、
PCとにらめっこしているある日。
ちょっと連絡して聞いてみよう!と思い立って
Twitterを開いた。
そしたらね、見当たらないんです。
その人のアカウントが。
え、どうしよう…
いなくなった…?
連絡先、Twitterしか知らないし…
顔はなんとなく覚えてるけど
さすがに本名までわからん…
この時初めて、『詐欺』にあったんだ、
と自覚しました。
激遅ですよね。
この動き、第三者から見てたら絶対止めます。笑
今思うと、行く前からがっつり教育されて、
何のためらいもなくお金を払って
ちゃんと詐欺にあいました。
怖いですね。
この時のお金を完済したのは、社会人になってからです。
詐欺にあってから、このことは誰にも話さず一切を隠し通しました。
だから、
SNSのネットビジネスは怖えぇって思いましたね。
あんまこの世界に近づくとダメだ、
顔見えないビジネスってやるもんじゃない、って。
詐欺だってわかってからは、もうFXは一旦なかったことに。
しっかりゼミ活動して、バイトしながら、
でも返済は一旦後回しにしたんです。
詐欺にはむちゃくちゃ腹立ったけど、立証なんてできない。
でも、そのせいで大学生の楽しみを捨てるとかマジ無理。
って思ってバイト3つに増やしました。
”今、この瞬間に”お金を使いたいって思って、
学校の友達と卒業旅行とか行きまくりましたね。
この万年金欠生活によって、
『お金を稼ぐ手段」って色々あることを知った。
楽稼ぎってできないわ。
痛いほどわかった。
けど、
意外と、頑張ればお金って何とかなるもんだってことも知った。
限界はあれど、働きまくれば稼げるってことを。
社会人から、現在へ
大学で色々な人と触れる中で、
いつしか、『自分の会社を持ちたい』という想いが強くなってきて。
というのも、
私のゼミが企業の経営戦略を調べ、
その内容をマーケ手法に照らし合わせて勉強していく学問。
企業の戦略を学んでると、
売上が伸び悩んだ時期があって、とか
この4年間は成績が落ち込んでた、とか
色々あるんですよね。
そういうの見てたら、
私はこの先、ずっと同じ会社に
勤め続けることはないだろうし、
かといって
専業主婦には性格が向いてないし。
そうなると、
自分自身にスキルがあるって強いわ。
社長って、かっこいいな。
自分自身で稼げる力があるっていいな。
そんな人になれたら、どこでもなんでもできるな。
って、思うようになって、
『起業』というものに興味がありました。
だから、
起業をしてみたいという漠然な思いから、
「企業は人だ」
だから、
「人を観る目を養おう」
と、人材業界へ入社しました。
ここでもね、
ブラック超えて漆黒のこの会社、
面白い話たっっくさんあるんです。
・休日にお客さんに呼び出されて、担当変更宣告受けたとか
・大声で電通の鬼の10か条言わされる2泊3日の鬼畜合宿とか
・同期が宗教にはまって全社員の前で社長に啖呵きって辞めたとか
そんな話、山ほどあります。
まぁそんな苦労話というか
今で言う笑い話みたいなのはたくさんあるので、
気になるなんていうマニアックな方は、お会いした時にでも聞いてください。
その中でも、
人材会社を5年勤める中で、
Webライター職に就いた。
それが転機の始まりです。
バイト(行動)しまくれば稼げることを知った私が、
社会人になった途端、
仕事に忙殺されるのに、
貰える給料は一定で、
インセンもボーナスもない環境、
部署移動してライターになるも、
会社唯一のライター職で給与規定は未整備。
働いてもお金が増えていかない環境に
将来が見えなくなったんですよね。
ちょうどそのころ、
アコムで借りた40万円をやっと返済。
毎月の返済額の半分以上を手数料で持ってかれてたので、
返しきるのにむちゃくちゃ時間が掛かりました。
(まじで、おすすめしません)
ふと、口座残高をみると、
残高:342円
こりゃ、社会人の口座じゃないわ。
さすがにまずすぎる。
でも、すぐに給料は上がんないし、
なんかないかな…
で、目についたのが
『副業』という2文字。
ここから、『稼ぐ』ということに
また関心が向くようになりました。
『文字を書く』を仕事にする気なんてさらさらなかった私が、
職種としてWebライターになり、
1年で100記事以上書く生活になったことで、
自分の力で稼げる…かも?
って思った。
でも、この時点では、
興味をもっただけで、動けなかったんですよね。
コロナ禍ですら、リモートワーク1ヶ月で
全社出勤になるくらいなんで、
まじで毎日時間ないし、
実際、副業のやり方分かんないし、
何より恐怖心が抜けてなかった。
リアルビジネス以外でお金を得る
ということに対する恐怖。
これが、一向に抜けなかったんですね。
悶々と毎日過ごしている日々に
光をくれたのは、今の社長でした。
転職、そしてSNSにハマる
昔から縁のあった今の社長。
敏腕&凄腕で、赤字だった支店を黒字かつ昨対比700%とかに
持ってってしまうような人。
仲良くさせてもらってたので、
仕事の悩みとかをよく相談してました。
その日も、いつもの感じで相談していた時に、
ふと言われたんです。
『じゃあ、うちの会社くる?』
直感で、これチャンスだって思って。
今しかない。これ逃したら私変わらない。
そこまでに色んな会話してたんですけど、
それ言われた瞬間に、
『行きます!』
いった翌日に漆黒人材会社に辞表を提出。
そのまま2か月後に退職。
今は、その社長のそばで働ける環境を手に入れました。
決め手は?って言われると難しいんですが、
実は、新卒の時から入社したいって伝えてて。
「でも今は起業したてだし、人採ってないからごめん。」
って言われて人材会社に入ったんですね。
だから、文字通りチャンス。
そのまま掴んで入社したりました。
あこがれの人の元で働けて
・今より年収上がる
・自由な時間増える
と、私得な条件もあり即断。
したものの、ですよ。
会社の状況はあまりよろしくない。
もちろん、最初に聞いてました。
うん、聞いてたんだけど、それ以上だった。笑
入社して2ヶ月目で給料貰えなくなりました。
前代表が飛んだり(上の社長とは違う)、
その分を負ってどんどん膨らんでいくマイナス。
満額じゃないけど…って貰うことはあれど、
なかなかに厳しい生活。
その生活をしながら6ヶ月が経った頃。
(マジでよく耐えた)
『これ、さすがに副業しないとまずくないか…?』
って思ったんですね。(おっそ)
そこから、副業というものを探しまくって
・アフィリエイトってものがある
・ブログが良いらしい
・TwitterXと掛け合わすといいらしい
とか、
いろんな情報が溢れてた。
ブログってそういう仕組みで稼いでたのか~
人に紹介して稼ぐなんて出来るんだ~
って思って、
そこから副業をするために
トラウマの残るTwitterに帰ってきました。
私にとって、TwitterはただのSNS。
フォロワーはリア友くらいの、
100人ちょっとのアカウント。
最近では投稿する友達もあまりいないから、
・企業のキャンペーンに応募したり
・推し活のための情報集めしたり
・地震とかの最新情報を得たり
するためのもの。
推し活も、嵐が活動休止してからあまり意味なくなって
1週間に1回見たらいい方、くらいでした。
そんなTwitterX初心者が、
いきなりブログ×アフィリエイトを始めた。
もんだから、
わからないことのオンパレード。
WordPressの使い方をYoutubeで調べながら
ブログの内容を考えていく。
これね、
初心者にはかーーーーなりきつい。
コンテンツを初めて買い、
その内容を実践しては修正。
ブログを公開するために毎日夜中3時まで
記事を作りこんでは、翌日、会社へ出勤する。
そんな毎日の繰り返し。
作りこんだブログも
やっと完成して、いざ公開!
ってしたんですが、
反応はまちまち。肝心の収益は0円。
そんだけ、時間を投資したにも関わらず、
対価がなさ過ぎた。
し、スキルが身についた感がまるでなかったんですよね。
やみくもにやってたのもあるけど、
この生活、半年続けるの無理だと思ってリタイア。
「あ~やっぱネットで稼ぐって無理なんかな…」
って思ってた矢先、
フォロワーの方の引用で回ってきた企画に
目を奪われたんですね。
そこには、𝕏運用をする上で必要なノウハウが
書かれていました。
今月も給与入ってこなかったし、
マジでお金なくて困ってた私には、
貴重すぎる情報源。
「これ、𝕏を極めたら、ブログ上手くいくんちゃうん?!」
藁にも縋る思いで、その企画に参加。
その時に、その人の投稿も見漁ったんですね。
そしたら、
「え、この人のライティングスキルやばあぁぁ。」
「レベチがいる……」
って。
バケモン見っけたー!!
って感覚でした。笑
その方が言うには、
Xで稼ぐというスキルだけじゃなくて、
マーケティング力が身につく、
ビジネスでも通用する力が付く。
さらに、
人間力までも身について、
稼ぐとコンプレックスも解消できる(らしい)。
明らかに、
今まで見てたアカウントと違った。
数多いる他の情報商材屋あるあるの、
どこか嘘っぽさというか、
なんか信じきるにはあと一歩足りない部分というか、
そんなん、まるで無かったんです。
そんな目線で副業を見たことがなかった私にとって、
この出会いは衝撃でした。
「ただ稼ぎたい」って思ってただけの自分に
ホンモノの雷が落ちたような感覚。
この人から学べば、
想像以上のトンデモスキルが手に入る…!
SNSできたら、本業の業績UPにも役立つ…!
自分の過去も清算できる……!!
そう思ってからは、
その人にのめりこみ、𝕏の運用方針も変え、
教材を見まくりアウトプットしまくった。
そのおかげで、
あんなに情弱だった私が、
ネットに無頓着だったこの私が、
✔ たった3ヶ月でコンテンツを作り
✔ 初コンテンツで12部を売上げ
✔ 教材楽しみです!って言ってくれるファンもできた
んです。
こんな世界、知らなかった。
私にできるなんて本当に思ってなかった。
でも、叶う。
たった数ヶ月、𝕏ガチっただけで
・ディズニーの年パス買えるくらいは日給で稼げて
・自力で稼げる力がついて
・後ろめたさが一切ない
これが叶ったんです。
特にこの3つめ、私の最大の軸でした。
稼ぎたい、とにかくお金は欲しいんだけど、
グレーなことはやっぱりしたくない。
出来るなら、本業にも生かせられて、
あわよくば起業しちゃったり…
これが全部叶うコト、見つかったんです。
だから、私は
『ライティング』を極めました。
自力で稼ぐ力をつける、ノウハウを繋いでいく
「本業も副業も欲張りたい」
「会社に頼らず稼げる力をつけたい」
「稼ぐ、よりも、稼ぎ続けたい」
そして、
私との関わりを通じて、
『自分の力で稼げる人』を増やしていきたい。
これは、
私の今までしてきた経験と、
SNSを始めて学んだ知識、
今の会社で得たモノの観方から、
自分には何が出来るかを考え抜いた答えです。
この想いに尽きます。
私はこれまでの人生、行動しまくってきました。
いじめられたり、インハイ出たり、詐欺にあったり、
とにかく苦労しながらも、行動しまくったおかげで変わった。
今は、入りたかった企業で働いてる。
せーっかく入った会社だから、本業は辞めたくないんですよね。
本業辞めて収入0で潰れた時って
きついなんてもんじゃないから。
想像するだけでも怖すぎ。
私が伝えたいことって、
稼ぐ手段って会社以外にもあるし、
数ヶ月本気でやれば、自力で稼げちゃうんだってこと。
もちろん、本業は続けててもいい。
でも、
いざね、
会社辞めてぇー
もう無理だわー
ってなったときに、
お金の心配も、
仕事の心配もなく
家庭や子供の心配もなく、
大腕ふって辞めますって言える。
それが言い切れるだけのスキルが、私にはある。
そんなこと出来るんだよって。
…最強じゃない?
だから、どっちも欲張りたい。笑
私の人生、楽しいこともたくさんあったけど、
見てのとおり、きついこともあったし、失敗もしまくってます。
それでも、
行動したら人生は変わるんです。
会社に頼らなくても稼げるんです。
『自力で稼げる』ってどれだけ心を豊かにするかを知ったんです。
今の時代、だれだって副業してるし、できる。
でも、
やろう!って思って𝕏を挫折した人をたくさん見てきた。
たった数ヶ月しかやってない私ですら、山ほど見てきたんです。
だから、
稼ぐ、ではなく、稼ぎ続けられるスキルを得たい。
私は、一気によりも、ずーーっと派です。
最初は短期でガッとやった方が良いと思うけど、
やるからには、長く永く続けたい。
その想いをエネルギーにして、
日々発信をしています。
𝕏発信を軸に、人と繋がれるって楽しいですよね。
きっかけは副業ですが、
SNSをがっつり学んだおかげで、
今は、会社のSNS担当として仕事ができてます。
ここでの成果も、いずれ発信していく予定です。
本業でも実績を積みながら
さらにスキルを磨いています。
うわ、想いが溢れすぎた、、
2万字超えてるし、、、
こんなに長い文章、よく飽きずに読んでいただきました。
物好きですn…
面白かったでしょうか?
私も詐欺にあったよ~とか、
なぎなたしてたよ~とかあれば、
ぜひ教えてください。笑
いつもいいねやリプは送ってないけど…
みたいな方でも、
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