私にはおじいちゃんという存在がいない。
両祖父母ともに、
離婚したわけでもないし、別居をしているわけではない。
でも、私が物心ついたころから祖父という人はいない。
(代わりをしてくれてた人はいるけど。)
だから今回、
生まれて30年目にして、
初めて祖父に会いに行ってみた。
昔、下田で祖父が遭難事故にあって、
そのとき、祖母の弟も一緒に命を落としたという話を最近になって知った。
長年ふわっと聞いてた“いち出来事”が、
急にリアルに自分の中に入ってきて。
だから今年は、ちゃんとその海を見て、
その上で手を合わせようと決めた。
車を走らせながら、天城越えを聴いてた。
いわずと知れた昭和の名曲。
今回の目的地は、伊豆半島の南端──下田。
そこに向かっていたら、本当に天城越えしてしまった。

下田といえば。
なんか歴史の授業で習った記憶しかない。
伊豆半島の南端、あの“日本で最初に開国した場所”。
でも、今回は観光とかじゃない。
玉泉寺だの、ペリー来航記念碑だの、
そういう“観光っぽい”ワードは
検索にいろいろ引っかかったけど、今回は、そういうのは全部スルー。
目的は、お墓参り。
白浜の海は、思っていたよりも、ずっと静かだった…
とか洒落たことも言ってみたかったんだけど、
まだ5月なのにサーファーがむっちゃいた。
陽キャの集まりって感じがした。

白浜の海を少し眺めて、
あとはひたすら線香に火をつける。
祖父に会ったこともない。
話をチラッと聞いたことがあるだけ。
本当に、この前話を聞くまでは、思い出してすらなかったのに。
なのに、なんでだろう。
車を停めて、線香をあげて、手を合わせたとき、

こういう浜辺では
見たことないくらいでっかいかにが出てきて、
祖父があいさつにきてくれたのかな~なんてみんなで話して。
そしたら、
じんわり心の底から、ある感覚が湧いてきた。
「自分が今ここにいるのって、たまたまじゃない」
特別な墓石があるわけでもなく。
海での遭難事故、お墓すら用意されてもない。
はたから見ると、ただの海。
サーファーにとって波に乗りやすい海。
たったそれだけの場所。
不思議と、自分の「ルーツ」を感じた。
生きてると、忘れがちなんですよね。
今こうしてパソコンに向かって仕事をしてることも、
発信を続けていられることも、
全部“ゼロから自分がやった”って錯覚しがちなんだけど、
実は、もう何十年も前から、
家族っていう“バトン”が渡されてきていて。
そのバトンの1ピースとして、今の自分が存在してる。
なぜか「ビジネス」のことを思い出した
海に向かって手を合わせながら、
ふと、こう思った。
「ビジネスっていうのも、形は違えど、バトンかもしれない」って。
自分の経験が、誰かの気づきになったり。
自分の言葉が、誰かの一歩を後押ししたり。
そうやって、知らない誰かに“価値”を渡していく営み。
でも、ただ情報を売るだけなら誰にでもできるけど、
そこに“想い”や“背景”があるかどうかで、
その重みって変わると思ってる。
たとえば、
・過去にどんな壁にぶつかって
・なぜこの道を選んで
・何を伝えたくて、今これを届けているのか
その“背景”がある人って、やっぱり強い。
逆に言えば、
「売れたら何でもいい」って空気が漂うコンテンツって、
どこかでバレる。
なんか匂う。
言葉になってなくても、なんか違うなと思う。
伝わりますかね。
本人の「真心」がないというか。
ここに再現性とかいう言葉をつけてしまうと
説明がすごく難しいんだけど、
本気で私のコンテンツで成果出してほしい!とか、
本気で人生変えてくれ!っていう想いが
1㎜も感じられないというか。
コンテンツの質うんぬんの前に、
人間である以上、ここくらいは思いを込めていこうよって。
長くビジネスするなら必須だと思うんですよね。
下田に初めて行ってみて、
改めて思ったのは、
人って、合理だけじゃ動けないんだな、ってこと。
たとえば
「月収100万いきました」って聞いても、
「すごいなあ」で終わる人も多いけど、
「100万稼いだあとに、何を考えてるのか?」
「その人が何を犠牲にして、何を得たのか?」
──そういう“情緒”が見えたとき、心が動く。
そして、買ってもらえる。
今のSNSって、
炎上商法とか、ネガティブがばずるとか、
極端な方向に触れがちだけど、
「情緒」と「本音」のバランスを、
ちゃんと残していくことって、実は一番難しいし、
だからこそ意味があると思うんですよね。
最近、ローンチをして、
200%くらいの熱量を入れた教材を
何人もの人が受け取ってくれた。
そういう背景にも、
やっぱり価格以上の伝わってくれているものが
あると思うんです。
自分を取り戻す時間ってだいじ
もし、最近バタバタしてて、
数字ばかり追いかけて、
売上とか結果だけに意識が偏ってるなら。
いっそ、ちょっとだけ遠出して、
何もない場所に行ってみてほしい。
観光じゃなくていい。
意味がなくてもいい。
でも、その無意味のなかに、
「本当は何を大事にしたかったのか」が
見えてくることもあるなと思うのです。
少なくとも私は、
“売れる文章”や“伝わる言葉”のルーツが、
今回の下田の海でなーんか垣間見えた気がしたなあ。
天城越えを聴きながら辿り着いた下田は、
何かを“突破”する道でもあったんだと思う。
毎日のしがらみとか全部一回置いて、
「そもそも、何を伝えたかったのか?」
「どうありたいと思ってたのか?」
──そんな原点に帰る機会もいいなあって。
「自分のビジネスも、誰かの人生を少しだけ越えるためにあるのかもな」って、
ふと思ったり。
そんな1日でした。
かなり思ったままを書き綴った文章でしたが、
なにか思うところがあったりしたら、ぜひ感想とかもらえると嬉しいです。
…同じ名前見つけると、撮りたくなるきもちわかりますか。

ps. 道の駅でわさび食べてたけのこゲットした。
帰ってからのお楽しみもできて幸せな気持ちでした。


